※この記事について 本記事は、現役グループホーム介護職員である筆者個人の経験と葛藤を綴ったものです。特定の疾患に対する医療的な診断や、絶対的な治療・対応法を示すものではありません。あくまで「現場の一つのリアル」としてお読みください。
先日、別の施設で働く知人と久しぶりに食事をした時のことです。彼がこぼした現場の愚痴が、ひどく印象に残っています。
彼の施設に併設されているショートステイには、身元不明で保護され、そのまま長期滞在している方がいるそうです。 役所が介入し、生活保護を受給している状態とのこと。
ある時、その方がコロナに感染しました。処方されたのは約9千円もする高価な特効薬。 もちろん、生活保護受給者であるその方の自己負担はゼロです。
知人は苦笑いしながら言いました。
「俺たち働いてる側がコロナになっても、『数日早く治るだけだから』って9千円もする薬なんて高くて買えないのにな」
そして、彼はふと冗談めかしてこう付け加えました。
「今、日本には海外からたくさんの人が来てるけどさ。そのうち、認知症になった親を連れてきて、日本の手厚い福祉に頼ってそのまま置いて帰るようなことが起きるかもな。日本が世界の『姥捨て山』になったら笑えないよな」
冗談では済まされない、日本の制度の「脆さ」
ただのブラックジョークです。しかし、一緒に笑い飛ばすことはできませんでした。
なぜなら、施設に入所したきり、何年もご家族が面会に来ない利用者さんの顔がふと頭をよぎったからです。 形はどうあれ、日本人の家族ですら、施設を「都合の良い受け皿」のように使ってしまう現実がある。それなら、海外から意図的にこの手厚い制度を頼って来る人が現れてもおかしくはないのではないか。そんな薄寒さを感じたのです。
それに、外国人が日本の社会保障制度の隙間を突くという話は、決して飛躍しすぎた妄想ではありません。 実際、ニュースなどでは、訪日外国人や無保険の外国人が日本の医療機関で高額な治療を受け、そのまま医療費を支払わずに帰国してしまう問題が度々報じられています。
前回の記事で、お金がなければ満足なケアが受けられないアメリカのシビアな現実について触れました。 それに比べれば、身元不明であっても、お金がなくても、最新の医療とケアで命を守ってくれる日本の制度は本当に素晴らしいものです。
しかし、その優しすぎるセーフティネットは、悪意ある「ただ乗り」に対しても無防備です。
9千円の薬を我慢して働き、税金と保険料を納めている現役世代が支えるこのいびつなバランスのまま、私たちはどこまで走り続けられるのでしょうか。
介護のお手本「ドイツ」が選んだ、家族への現金給付
日本の介護保険制度は、ヨーロッパ、特にドイツの制度をお手本にして作られました。 では、その「先輩」であるドイツは、膨れ上がる介護費用や公的負担にどう対応しているのでしょうか。
調べてみて驚いたのが、ドイツの「家族介護に対する現金給付」という仕組みです。
日本の介護保険は、デイサービスに通ったりヘルパーさんに来てもらったりと、あくまで「サービスそのもの」を安く利用できる仕組みです。家族がどれだけ自宅で介護を頑張っても、直接お金がもらえるわけではありません。
しかしドイツでは、家族が自宅で介護をする場合、その労力に対して国から直接「現金」が支給される選択肢が用意されています。
施設に入所すれば、毎月の利用料や食費など、家族の財布からはまとまったお金が飛んでいきます。
一方で、費用を抑えるために自宅で介護をしようとすれば、今度は家族が働く時間を削らざるを得ず、収入が減ってしまうという厳しい現実があります。
それならば、自宅で介護という重労働を担ってくれる家族に対して直接現金を支給し、生活の不安を少しでも和らげようという、家族の視点に立った非常に合理的な考え方です。
日本にもし「家族介護の手当」があったら?
もし日本でも、家族が介護をすれば現金が支給されるようになったらどうなるでしょうか。
「デイサービスやヘルパーを頼んでパートに出るより、手当をもらって自分で家で見たほうがいい」と考え、あえて仕事を辞めて親の介護に専念する人が逆に増えてしまうかもしれません。
現場の感覚からすると、これは少し怖いことでもあります。 適度に外部のサービスを頼りながら外で働く時間が、ご家族にとって介護から離れる大切な「息抜き」になっているケースを何度も見てきたからです。
お金のために無理をして家族だけで抱え込み、結果的に介護疲れから共倒れになったり、最悪の場合は虐待に繋がったりする懸念もあります。
家族にお金を渡せばすべて解決、という単純な話ではないと私は思います。
バツイチで独り身の私には、将来自分の面倒を見てくれる家族はいません。
だからこそ、自分の老後は国の制度や施設に頼らざるを得ないという現実があり、この国の制度が適正に守られ、持続可能であってほしいと切に願っています。
最終回にあたって。現場から見える景色
全4回にわたり、ベトナム人実習生との会話をきっかけに、北欧、アメリカ、そしてヨーロッパと、世界の介護事情を巡ってきました。
知人がこぼしたあの不穏な冗談。 北欧の徹底した自立支援。 アメリカのシビアな格差。
そしてドイツの合理的な家族支援。 世界には様々な形があり、どれが完璧な正解というわけではありません。
フロアに戻ると、今日もベトナム人の彼女たちが、言葉の壁を越えた温かい笑顔で利用者さんの手を握っています。
制度の限界や未来の不安を語り出せばキリがありませんが、現場にあるのは「今、目の前にいる方の生活をどう支えるか」という、とてもシンプルで泥臭い日常です。
色々と考えを巡らせてみましたが、40代の頭と体はそろそろ限界のようです。
日本の介護の未来については、またしっかり寝て、次のシフトをこなしながら考えることにします。
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