※この記事について 本記事は、現役グループホーム介護職員である筆者個人の経験と葛藤を綴ったものです。特定の疾患に対する医療的な診断や、絶対的な治療・対応法を示すものではありません。あくまで「現場の一つのリアル」としてお読みください。
前回の記事では、ベトナム人実習生の言葉をきっかけに調べた、北欧・スウェーデンの「究極の自立支援」について書きました。
手厚い福祉と、リスクを背負ってでも尊厳を守る姿勢には、日本の現場で働く身として考えさせられることが多くありました。
では、世界を代表する大国であり、自由の国と呼ばれるアメリカの介護事情はどうなっているのでしょうか。 調べていくうちに浮き彫りになったのは、北欧とは全く異なる「格差」と「自己責任」という、少し背筋が寒くなるような現実でした。
預金残高が老後の質を決める、シビアな世界
私たち日本の介護職員にとって、利用者さんが介護保険制度を利用してサービスを受けるのは「当たり前の日常」です。 しかし、アメリカには日本のような「全国民一律の公的介護保険制度」が存在しません。
公的保険がない「自己責任」の国
アメリカで高齢者が介護を必要とした場合、基本的には民間の介護保険に入っているか、自分自身の貯蓄を切り崩してサービスを購入するしかありません。
低所得者向けの公的医療制度(メディケイド)はありますが、これを利用するには「自分の資産をほぼ使い果たす」という厳しい条件を満たす必要があります。
結果として、最も苦しい立場に立たされるのは、「公的支援を受けられるほど困窮しているわけではないけれど、高額な民間サービスを全額自腹で払い続ける余裕もない」という、いわゆる中間層の人たちです。
5つ星ホテル並みの施設と、その対極
一方で、十分な資産を持つ富裕層向けの施設は驚くほど充実しています。 「CCRC(継続的ケア付きリタイアメント・コミュニティ)」と呼ばれる施設の中には、広大な敷地にゴルフ場や高級レストランを完備し、まるで5つ星ホテルのような暮らしを提供しながら、最期まで手厚い医療・介護ケアを約束するものもあります。
お金があれば最高のケアと自由な老後が手に入り、なければ厳しい現実に直面する。 まさに「預金残高が老後の質を決定する」という、資本主義の極致のような世界がそこにはありました。
日本の現場で「当たり前」に使っている制度の重み
このアメリカの現実を知ったとき、自分が日々働いているグループホームの風景が少し違って見えました。
1割負担で受けられるケアのありがたさ
私の勤める施設には、様々な経歴や経済状況の利用者さんがいらっしゃいます。 しかし、ここでのケアに経済的な格差は持ち込まれません。
介護保険制度という土台があるおかげで、原則1割(所得に応じて2〜3割)の負担で、誰もが等しく専門的なケアや入浴、食事のサポートを受けることができます。
現場は常に人手不足で、待遇改善など課題は山積しています。決して完璧なシステムではありません。 それでも、「お金が尽きたらケアが受けられない」という不安に怯えることなく、老いを受け入れていけるこの国の制度は、世界的に見れば非常に恵まれたセーフティネットなのだと思い知らされました。
40代、自分の老後を想像したときの「安心感」
40代を迎え、バツイチという身軽さのなかで、ふと「自分が認知症になったらどうなるだろう」と考えることがあります。 一人で老いを迎えるかもしれない不安は、決してゼロではありません。
しかし、アメリカのシビアな現実を知った今、少しだけ肩の荷が下りたような気がします。 日本には、いざという時に頼れる制度があり、私たちと同じように現場で汗を流す介護職員たちがいます。
日々の業務の忙しさに追われていると忘れがちですが、私たちが提供しているケアは、この国の安心感を根底で支える大切な仕事なのだと、少しだけ誇らしい気持ちになりました。
次回は最終回。日本が介護保険制度を作る際にお手本にした国、ドイツの事例から、「日本の家族介護の未来」について考えてみます。

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