認知症グループホームでの夜勤明け。 記録を書き終えて一息ついていると、早番のベトナム人技能実習生が「おはようございます!」と元気な声で出勤してきます。
40代、バツイチ。 介護の現場に身を置き、日々の業務に追われる中で、彼女たちの持つ若さとエネルギーにはいつも助けられています。
現在、日本の介護現場は深刻な人手不足の中にあり、外国人スタッフの存在なしには回らない施設も多くなりました。
今回はシリーズの第1回として、同じ現場で汗を流す同僚としての視点から、ベトナム人実習生たちがもたらしてくれた現場の「リアル」と、そこから見えてきたものについて書いてみます。
なぜ彼女たちは日本で「介護」の仕事を選んだのか
彼女たちを受け入れる前、現場には「言葉は通じるのか」「かえって現場の負担が増えるのではないか」という不安がありました。
実際に働き始めてみると、確かに細かなニュアンスが伝わらないことも多く、今でも伝え方やコミュニケーションには常に気を遣っています。 しかし、それ以上に彼女たちが現場にもたらしてくれたものは大きかったのです。
「貧しい出稼ぎ」という先入観の裏切り
休憩時間、スマホで彼女たちから母国の家族の写真を見せてもらうことがあります。
そこに写っているのは、立派な家や、楽しそうに食事を囲む豊かな風景です。 ニュースなどで語られがちな「貧困から抜け出すための出稼ぎ」というイメージとは少し違い、少なくともうちの現場で働く彼女たちは、その日暮らしの貧しい環境から日本へ逃げてきたわけではありません。
では、生活に困窮しているわけでもないうら若き彼女たちが、なぜわざわざ異国に渡り、認知症のお年寄りの下の世話や入浴介助という決して楽ではない仕事を選んだのでしょうか。
根底にある「家族を大切にする」強い文化
片言の日本語と翻訳アプリを交えながら話を聞いていくと、見えてきたのはベトナムの強固な家族観でした。
ベトナムには、目上の人を深く敬い、家族の絆を非常に大切にする文化が根付いています。 そのためか、高齢者の身体に触れ、下の世話も伴う「介護」という仕事に対して、彼女たちは驚くほど抵抗感がありません。
「お年寄りの世話をするのは当たり前のこと」という感覚が、彼女たちの根底にはあるようです。 だからこそ、生活のためだけでなく、純粋に「日本の進んだ介護技術を学びたい」という真っ直ぐな熱意を持って現場に立ってくれています。
言葉の壁をあっさりと越える「若さとエネルギー」
もちろん、日本語の壁は存在します。 細かなニュアンスが伝わりきらず、業務の伝達でもどかしい思いをすることはあります。
しかし、利用者さんとのコミュニケーションにおいて、彼女たちはその壁をいとも簡単に飛び越えていきます。
認知症ケアで気づかされた「笑顔」と「触れ合い」の力
夕暮れ時、いわゆる「帰宅願望」で不穏になり、玄関のドアを叩く利用者さんがいたとします。 私たちが言葉を尽くして説得しようとしても上手くいかない時、彼女たちがスッと横に寄り添うと、ふっと空気が変わることがあります。
彼女たちは言葉で理詰めにするのではなく、相手の目線に合わせてしゃがみ込み、ゆっくりと手を握り、満面の笑顔で頷き続けます。 すると、さっきまで険しかった利用者さんの表情が、嘘のように穏やかになります。
日本の介護現場が長年かけてマニュアル化してきたケアの技術も大切ですが、彼女たちが自然に行っている「人としての温かい触れ合い」こそが、認知症ケアのとても重要なピースであると、現場で何度も気づかされました。
「教える側」が教えられる日々
日本独自の細やかな介護技術や、安全管理のためのルールなど、私たちが彼女たちに教えるべきことは山ほどあります。
彼女たちもまた、貪欲に日本の技術を吸収しようと、非番の日でも一生懸命に日本語や介護の勉強をしています。
現場に生まれた新しい「絆」
ただ技術を教えるだけでなく、いつしか現場には「一緒に利用者さんの生活を支える」という確かな絆が生まれていました。
業務効率や日々の忙しさに追われ、つい作業的になりそうになる自分を、彼女たちのひたむきな姿勢が静かに戒めてくれているように感じます。
次回:彼女たちの疑問から世界の介護へ
ある日、実習生の彼女と話していると、こんなことを言われました。 「ベトナムには、まだこういう綺麗なお年寄りの施設は少ないんです。みんな家で家族が見ますから」
彼女の母国では施設介護がまだ一般的ではないという事実。そこでふと、一つの疑問が湧きました。 「では、世界で一番、介護の施設や制度が進んでいる国はどうなっているのだろう?」
調べていくうちに辿り着いたのが、福祉先進国と呼ばれる「北欧」の事情でした。 次回は、私たち日本の介護職から見ると少し衝撃的でもある、北欧スウェーデンの「究極の自立支援」について紐解いていきます。

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